2012年3月20日火曜日

「阿部 准奈 インタビュー」

合唱組曲「阿賀野川」は、平成3年の初演発表会から三川中学校の生徒らによって、長きに渡り歌い継がれてきた。
それはまさに「先輩から後輩へ」と、20年分の伝統を積み重ねてきた、いわば歴史そのもの、財産である。
ともに学び、ともに歌い、お互いの成長を競い合って中学校生活3年間を過ごした彼らの共通言語は、今でも「阿賀野川」なのだ。
平成3年度から現在に至るまで、卒業生のインタビューをシリーズで掲載する。




――最初に「阿賀野川」との出会いについて教えてください。

確か…、たぶん小学校5年生か6年生くらいの頃だと思うんですけど。
三川中学校体育館での発表会を聴きに行ったことがあって。
近所の先輩が歌っているっていうことで、私のお母さんと、その先輩のお母さんとで行きました。
「阿賀野川」を聴いたのは、その時が初めてですね。
第三曲の「羽越大災害」の迫力がすごくって、その印象が強く残ってます。
ちょっと怖い歌だな、と思いました。


――中学校で歌ってた当時のことなど教えてください。

楽譜を渡された時は、“実際私たちにも歌えるのかなぁ”って不安でした。
授業では各パートに分かれて、カセットテープをとにかく何回も何回も聴いて(笑)、合わせながら歌ったのを覚えてますね。
学年ごとにパートリーダーっていうのがいて、その人の言うことを聞いてやってました。
もう、毎日歌ってましたね(笑)。
当時の音楽の授業は、櫻庭先生っていう先生だったんですけど。
櫻庭先生はこの「阿賀野川」に対してすごい熱血的でした。
ふざけて練習とかしてると、すっごい怒る…(笑)。
男子とかよく注意されてましたね(笑)。
「阿賀野川」への想いを語る、とにかく熱い先生でした~。


――阿部さんは、なんでも高校ではボート部だったとお聞きしましたが。

はい、阿賀黎明高校でボート部でした。
なので、阿賀野川では毎日のようにボートを漕いでました。
この川がなければ私たちは部活もできない、という環境ですよね。
だから私はすごく感謝しています、阿賀野川に。
阿賀野川で練習したから、全国の大会へ行って活躍できたっていうのもあるし。


――えっ!?全国行ったんですか?

はい、全国大会で優勝しました。
阿賀野川って流れがあって、結構水が重たいんですよ。
そこで練習を積んで他の所へ行くと、水が軽く感じるので。
やっぱり阿賀野川で漕いだから、力も付いたんだなと(笑)。
阿賀黎明高校のボート部が強いのは、川に秘密があったのかもしれませんね(笑)。
あと、コーチですね。
元バルセロナ五輪選手の三留弘(みとめひろし)コーチが、毎日モーターボートで追いかけて指導してくれたお陰です。


――阿部さんにとって阿賀野川とはなんでしょう?

「思い出、感動、ありがとう!阿賀野川」ですね(笑)!


――なんですか?そのキャッチコピーみたいのは(笑)?

うちの学校のボート部の、何て言うか…「名台詞」なので(笑)。
阿賀野川に出た瞬間、みんなそれを言って気合いを入れるんですよ。






阿部 准奈
1990年生まれ
新潟県東蒲原郡阿賀町(旧三川村)出身
平成17年度三川中学校卒業生
パート:アルト
介護福祉士を目指し、現在勉強中