2012年7月6日金曜日

「清野 敏生 インタビュー」

合唱組曲「阿賀野川」は、平成3年の初演発表会から三川中学校の生徒らによって、長きに渡り歌い継がれてきた。
それはまさに「先輩から後輩へ」と、20年分の伝統を積み重ねてきた、いわば歴史そのもの、財産である。
ともに学び、ともに歌い、お互いの成長を競い合って中学校生活3年間を過ごした彼らの共通言語は、今でも「阿賀野川」なのだ。
平成3年度から現在に至るまで、卒業生のインタビューをシリーズで掲載する。




――合唱組曲「阿賀野川」との出会いから教えてください。

小学校の頃から「阿賀野川」のことについて少しずつ勉強していました。
中学生が歌う合唱を聴きに行った時、“来年から自分たちも歌うんだなぁ”って。
“オレにこんな歌、歌えるのかなぁー。”っていう不安しかありませんでしたね(笑)。


――小学校の時は、「阿賀野川」をどのよう学んでたのですか?

6年生の「総合学習」で、「羽越大災害」のことについて深く考える授業がありました。
実際、災害に遭った現場の石間地区に行ったりして。
先生は組曲「阿賀野川」のことが好きだったみたいで、そういう授業にも特に力を入れていましたね。


――中学校生活3年間で、「阿賀野川」に対する気持ちの変化などはありましたか?

あぁ、ありましたね。
ただこう、歌うんじゃなくて。
なんて言うか、気持ちを込めて歌うようになりました。
それはオレだけじゃなくって、他のみんなもそうでした。
先輩の合唱を聴いたりすると“スゲーなぁ”って。
例えば強く歌うところなんかは、テキトーに歌うんじゃなくて、ホントに力を込めて歌うとか。
抑えるところは、ぐっと腹に力を入れて抑えるとか。
先輩の歌う姿から、そういうのは学び取りました。
そして、自分たちがメリハリを付けて歌えるようになった時のことは、よく覚えています。


――なるほど。それが「歌い継ぐ」ってことなんでしょうね~。

「阿賀野川」の中で、最も好きな曲は何ですか?
オレは「悲歌」が好きだったんですよ。
「悲歌」は、文化祭だと3年生だけで歌うんですよね。
これは伝統になっていて。
1、2年の頃は客席側から観ていて、“いい曲だなぁ”と、とても感動してました。
3年生になって、いざオレたちの番になったんですが、そこでも結局不安しかなかったですね(笑)。
“ホントにオレたちに歌えるのかな~”って(笑)。


――「悲歌」はどんなところが好きなんですか?

「羽越大災害」からの立ち直りっていうか。
だんだん希望に向かって明るくなっていく様子とか、歌詩の中に込められていて。
それで好きですね~。




――阿賀町の魅力を教えてください。

この自然ですかね。
他の町に比べると、緑に囲まれた、自然豊かな町だと思います。
将軍杉はよく行きますね。
この前も岩谷(将軍杉のある地区)の仲間の家に遊び行った時、
“将軍杉見に行こうぜー!”ってなって(笑)。
そんな軽いノリで見に行けるっていうのも、地元ならではですけど、魅力のひとつかもしれませんね。


――清野さんにとって阿賀野川とはどんな川ですか?

阿賀野川は町を蛇行しながら流れてて、とても身近な存在なんです。
だから、例えばオレが東京とかに行った時、たまに阿賀野川を思い出すと懐かしく感じると思います。
一言で表すなら、「ふるさと」って感じですね。



清野 敏生
1993年生まれ
新潟県東蒲原郡阿賀町(旧三川村)出身
平成20年度三川中学校卒業生
パート:バス
ドライブが趣味の専門学生