2012年5月9日水曜日

「松井 正 インタビュー」

合唱組曲「阿賀野川」の詩の世界観を深く読み解くには、まず作詩者山本和夫という人物を知る必要がある。
1907年(明治40年)福井県遠敷郡松永村(現小浜市)に生まれ、生涯ふるさとを愛した。
そんな山本氏と親交の厚かった若狭の人々に、その人柄や思い出などを伺った。
偉大なる文学者の遺伝子は、確かにその地へ受け継がれていた――。




私にとっては好々爺!


――山本和夫先生との出会いについて、お話を聞かせてください。

私は、地元小浜市の若狭高校の卒業生なんです。
その若狭高校の校歌が、「山本和夫作詩、山田耕筰作曲」なんですよ。
当時は山本和夫さんがどんな方なのか、私は全く知らなかった。
生きてる人なのか、存在そのものすら知らないような感じでしたね。
卒業してから、私は若狭高校をはじめとして高校の教員をしとったんですけど。
ある時、定時制の生徒がやってきまして、“「わかさ文学(※)」を作るから、参加してくれないか”ということでした。
昭和47年の頃ですね。
それで私は2号目から若狭文学会に入ったんです。
その後、わかさ文学の精神的支柱である山本和夫先生と出会いました。


――印象に残っていることはありますか?

覚えてるのはね、“結婚は恋愛でないとイカン”と先生がおっしゃるもんでね。
“見合いでもいいんじゃないですか”と反論すると、“いや、やはり恋愛だね!”とおっしゃる。
「恋愛至上主義」という言葉がありますが、まさにそんなお人でしたね(笑)。
山本先生は、この小浜市近辺と県外なども入れて、30近い学校の校歌を作詩してはりますね。
小、中、高校と。
校歌の作詩ではたくさん残されてますね~。
あと、「阿賀野川」もありますが、基本的に童話作家なんですよね。
だから非常にロマンチックな人でしたね。


――松井さんにとって、山本先生はどのような存在でしたか?

私にとっては好々爺!
とても感じのいい、高ぶらない、優しいおっちゃんだね。
これで私も76歳になりますが、今までたくさん会うてきた人の中で、あんないい人は滅多にいないと言えますね。
もう指折り5人以内に入るかな。
3人でもいいかな(笑)。
本当にそれぐらい優しい人柄でした。


――ご協力どうもありがとうございました。





松井 正
1935年生まれ
福井県小浜市清滝出身
NPO法人ティームス評議員、元高校の校長


※「わかさ文学」
福井県若狭地方の文学界を40余年もの間牽引してきた、若狭文学会による同人誌。
1970年創刊以来、年1~2回発行。
1980年から「若狭文学」と題字を変える。
故山本和夫氏の生誕100周年を記念した特集を組んだり、県内小中学生を対象とした詩のコンクールを創設したりと、幅広く活動。
2011年に発行された49号をもって、惜しまれながらの終刊となった。